What’s Chureito Pagoda

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忠霊塔とは

忠霊塔(Chureito Pagoda)は、山梨県富士吉田市(Fujiyoshida City)の新倉山中腹にある戦没者の慰霊塔(Cenotaph Monument)です。忠霊塔の周辺は、富士吉田市が管理する新倉山浅間公園(Arakurayama sengen park)として整備されています。

毎年4月中旬になると、公園内にある650本余りのソメイヨシノ(cherry tree)が一斉に花を咲かせ、五重塔と桜、そして富士山が一望できるスポットとして、広く国内外から多くの観光客が訪れます。

忠霊塔がある新倉山浅間公園から見た冬の富士山

忠霊塔がある新倉山浅間公園は、ふもとから100mほど登った新倉山(Mt.Arakura)の中腹にあるので、ここからしか見ることができない、左右に大きくすそ野を広げた雄大な富士山と、富士山に抱かれた富士吉田市の市街地を一望することができます。特に寒さが厳しい冬の季節には、澄んだ青空のもと、雪を被った富士山の美しい姿を望むことができます。

忠霊塔の案内板

忠霊塔とは、戦没者を祀る慰霊塔に対して、一般的に呼ばれている通称であり、ここ新倉山浅間公園の忠霊塔も正式名称は、富士吉田市戦没者慰霊塔(Official Name:The Fujiyoshida Cenotaph Monument)となっています。忠霊塔の正面には、忠霊塔建立の経緯を記した案内板が設置されています。内容は以下の通りです。

Summary of the Chureito Pagoda

Official Name

The Fujiyoshida Cenotaph Monument (Colloquial term:The Chureito Pagoda)

Address

3360-1 Arakura,Fujiyoshida,Yamanashi Mt,Arakura Sengen City Park

Structure

  1. A straight line roofing copperplate ferro concrete five-story pagoda. An imitation of the Shitenno-ji Temple five-story pagoda.
  2. Measurement Basic foundation:7.3 square metre. First floor:13.0 square metre.
  3. Height 19.5m (Body:13.0m Sorin(vertical shaft):6.5m)
  4. Total Cost ¥9,368,884 (Construction:¥9,210,767 Administration:¥158,117)

Purpose of the Construction of the Chureito Pagoda

The Fujiyoshida Cenotaph Monument,also known as the Chureito Pagoda,was built by the mayor of Fujiyoshida and the Fujiyoshida Cenotaph Monument Construction Committee on August 12th,1958 to enshrine about 960 citizens from Fujiyoshida who died in the wars which occurred after 1868(the First Sino-Japanese War,the Russo-Japanese War,World WarⅠ,and the Pacific War of World WarⅡ).

The committee sold the former Shimoyoshida Veteran Grove to the Onshirin Regional Public Organization and received 3 million yen which was in turn used as the fundamental funds for the construction of the monument; furthermore,the remaining shortage of funds were donated by citizens.The construction commenced on April,1959 and completed on April,1962.

Fujiyoshida Service Association for the Cenotaph Monument
fujiyoshida War-Bereaved Association

忠霊塔の概要

  1. 正式名称 富士吉田市戦没者慰霊塔(俗称:忠霊塔)
  2. 所在地 富士吉田市新倉3360番地の1 市立新倉山浅間公園内
  3. 構造等
    1. 鋼板一文字葺鉄筋コンクリート五層建 大阪四天王寺の五重塔を模している。
    2. 大きさ 基礎部分7.3m四方 1階床面積4坪(13㎡)
    3. 高さ 19.5m(本体部分13m、相輪6.5m)
    4. 総工費 9,368,884円(工事費9,210,767円 事務費158,117円)

忠霊塔建立の経緯

富士吉田市戦没者慰霊塔(通称:忠霊塔)は、明治(1868年)以降の日本国として参戦した戦役(日清、日露、第一次世界大戦及び太平洋戦争)において戦没した市内出身者960余柱(現在1055柱)を合祀するため、市の援護会が中心となり、昭和33年8月12日に富士吉田市長を委員長とする富士吉田市慰霊塔建設委員会が設けられた。

委員会は、その建設資金を旧下吉田町在郷軍人林を恩賜林組合に売却した300万円を基礎資金として、その他不足する部分を広く市民の浄財に寄り、昭和34年4月起工し3年間の工事期間を経て昭和37年4月に完成し現在に至る。

富士吉田市慰霊塔奉賛会
富士吉田市遺族会

忠霊塔建設の経緯を紹介したこの案内板は、観光客が増えたここ数年に設置されたものです。建設から60年近く経過し、残念ながら富士吉田市民の中にも、忠霊塔がどのような施設なのか知らない人が増えてきました。観光スポットとしての色合いが強くなっていますが、まずは忠霊塔がどのような意味を持った施設なのか、正しい理解が広がることを願っています。

忠霊塔建設当時の様子

忠霊塔とは、戦争へ出兵し不幸にも生きて故郷の土を踏むことが叶わなかった戦死者の霊をともらい、顕彰する慰霊塔で日本各地に建立されています。

富士吉田市でも、太平洋戦争へ出兵し残念ながら生きて故郷へ帰ることが叶わなかった富士吉田出身の戦没者を供養し、永くその功績を称える慰霊塔を建立すべく、太平洋戦争の引揚軍人であった大正寺遠山正欣住職や当時の富士吉田市長、希代圭司氏らが中心となり建設計画が進められました。

当初建設地は、富士吉田市新倉地区の小舟山とし、整地ならびに地鎮祭も済ませましたが、その後の地質調査によって、地盤が軟弱でり高層建築物には不適切であることが判明し、現在地への建設が決定しました。

ちなみに小舟山は、その後に建設が始まった中央自動車道富士吉田線のルートと重なったこと。そして中央道建設のための土砂採取によって姿を消しました。もし小舟山に忠霊塔が建設されていたら、その後に別の場所へ移築されていたか、中央道のルートが変わっていたかもしれません。

忠霊塔の全景

五重塔の容姿は、上野の寛永寺、芝の増上寺、長野の善光寺などが候補に上がる中、最終的に大阪四天王寺の五重塔をモデルとすることが決定。当時の下吉田町在郷軍人会所管の軍人林を恩賜林組合へ売却したり、広く市民からの浄財を募り予算を捻出するなど関係者の尽力によって、昭和34年4月起工。その後3年を費やし昭和37年4月に竣工しました。

昭和30年代前半、富士吉田市内でも鉄筋コンクリート造りの建物が珍しい時代。麓から100m程上った山の中腹へ向かって林を切り開き、道路を敷設し、戦後10数年が過ぎたとはいえ建築資材も技術も資金も乏しい状況での五重塔建設は困難を極めたことでしょう。

しかし戦争を経験した人々や、家族や仲間を亡くした多くの方々の想いと熱意によって、故郷の象徴である富士山が一望できる新倉山へ、朱に輝く忠霊塔が建立され、太平洋戦争他、日清、日露、第一次大戦で戦死された1,055柱が合祀され現在に至っています。

【参考資料】〈忠霊塔の由来〉1978年 富士吉田遺族会出版
写真で見る富士吉田の歩み

富士吉田市では市制60周年を記念して、2011年に富士吉田の歴史を写真で振り返る写真集「写真で見る富士吉田の歩み」を発行しました。その表紙は、足場が組まれ、鉄筋や屋根の骨組みがむき出しになっている昭和35年、建設途中の忠霊塔の写真が飾っています。

その向こうに見える富士吉田の街は、まだまだ住宅が少なく田畑が広がっている様子が見てとれ、忠霊塔建設が当時の富士吉田にとって一大事業であったことが想像できます。

「写真で見る富士吉田の歩み」は、富士吉田市立図書館で閲覧することができます。建設途中の忠霊塔や姿を消した小舟山など、昭和20年代から現代まで、富士吉田市発展の様子を懐かしい写真と共に振り返ることができます。

現在の忠霊塔

忠霊塔は、富士山と桜と五重塔が一枚の写真の中に納まる場所として、以前からアマチュアカメラマンの間では知られた場所でしたが、普段の忠霊塔は訪れる人も少なく、もの寂しさを感じる場所でした。

忠霊塔へ上る398段の咲くや姫階段

そんな忠霊塔も富士山の世界遺産登録の機運と共に整備が進みました。30年程前に発生した林野火災によって荒れ地となっていた、忠霊塔の東側一帯を公園として整備。さらにその一角へトイレが設置されました。ふもとには87台が駐車できる駐車場を整備。また、地元の子供たちが忠霊塔へ上がる際の「近道」としていた獣道を整備して398段(設置当初は397段)の「咲くや姫階段」が整備され、富士山を望む新たな名所になっています。

忠霊塔裏の展望デッキ

そして富士山が世界文化遺産に登録されてからは、増え続ける観光客の安全性を確保するため、2015年に忠霊塔の裏へ展望デッキが設置されました。それまで五重塔裏は、擁壁の上部が未整備の崖となっており、五重塔と富士山を写真へ収めるには、危険な急傾斜地への立ち入りを強いられていましたが、デッキが設置されたことで、より安全に忠霊塔から望む富士山を楽しめるようになるなど、年々整備が進められています。

富士山が世界文化遺産へ登録された2013年以降、忠霊塔へ訪れる国内外からの観光客が急増しました。特にそれまでほとんど見られなかった外国人観光客が一気に増え、今では忠霊塔で様々な言葉を耳にするようになりました。日本を象徴する景色を望める場所として、また地域住民の憩いの場として、忠霊塔は沢山の人から親しまれる場所となっています。

これからも日本中から、そして世界中からより多くの人に忠霊塔へ訪れて頂きたいと願っています。

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